沿革
剣道は終戦の昭和20年(1945年)より約7年間、占領政策でその活動が禁じられていましたが、昭和27年(1952年)より解禁され全国で竹刀のひびく音を聞くことができるようになりました。
その後、豊中市でも剣道が復活し数カ所で稽古が始まっていたので、青少年の健全育成に少しでも役立てようという願いをもって鬼塚政吉先生が同好の士数名を集り、当時の公民分館長・伊丹啓次氏に、剣道部創立を請願し内諾を得ました。
当時、公民分館体育部長の鬼塚政吉先生は、同分館運営委員会に剣道部設立案を提出したところ、昔の剣道の復活ということで許可を受けるのに大変難航しました。委員会が開催される度に根気よく戦後の剣道の姿を説明し、青年部だけという制約はありましたが発足を許可され、少年部設立は青年部の活動を行いながら情勢を待つことになりました。
早速、校区内の自治会長に「剣道部設立案内状」の回覧を依頼し、昭和43年(1968年)6月9日、同好の士21名が集り、豊南剣修館が誕生しました。
初代役員構成
部 長 鬼塚 政吉 師 範 甲斐 保徳
総 務 鹿本 鉄雷 一般部長 万代 豊
少年部長 新家 種夫(後日会計兼務)
甲斐先生が勤務のご都合で、しばらく指導が出来なくなり、大阪の橋口恒実先生を師範に迎え、数ヶ月のご指導を受けると共に、鬼塚先生、鹿本先生、万代先生、大月先生、福島先生、安富先生、田中先生が、指導に当たりました。
昭和43年 9月 大阪府剣道連盟、豊中市剣道協会、豊南剣親会に加盟
10月 部員20名で少年部が新たに発足
昭和45年 6月 高川公民分館及び高川剣友会設立
同設立に伴い鹿本先生ほか、高川校区に位置する半数の部員と別れる
昭和46年 4月 高橋武三先生の入部に伴い、高橋先生が穂積地区で指導に当たっていた小、中学生(現 橋本雅巳先生 他)15名も同時に入部
昭和53年 9月 創立10周年記念剣道大会を開催
昭和55年 5月 母の会が結成され、以後豊南剣修館の支えとなる
昭和55年 9月 和田竹嗣先生 部長に就任
昭和56年 6月 和田先生が病の為急逝され、渋谷正夫先生が部長代行
9月 渋谷正夫先生 部長に就任
昭和58年 11月 創立15周年記念剣道大会を開催
平成 元年 4月 豊中市剣道協会創立20周年記念で豊南剣修館及び鬼塚顧問が表彰される
平成 2年 10月 高橋武三指導部長 豊中市民体育振興功労者として表彰される
平成 3年 4月 鬼塚政吉先生 部長に就任
平成 6年 10月 大谷元幸指導副部長 豊中市民体育振興功労者として表彰される
平成 8年 高橋指導部長 豊中市剣道協会理事長に就任(平成8~9年度)
平成15年 水口勝美先生 部長に就任
平成19年 寺地繁浩先生 部長に就任